今日の夕方なんとなく
Twitterで次のようなことを書いた。
一人で居ても世の中はこんなにも美しいぞ。
独りぼっちのつもりでもすぐそばで幾兆億もの命が、そんな己を生かしてくれている。
次元の狭間では数多の先祖の意識が己を見守ってくれている。そんな己を大切に、天に恥じない生き方をしろよ。
ポエマーNより pic.twitter.com/CBnxmXom1i
— N (@taizo1974) July 10, 2022
ポエマーNよりと書いてはいるものの
私は詩人ではなく思想家を自称している。
そこでこのtweetの意味について
もう少しわかりやすくなるよう補足をしておこう。
独りぼっちのつもりでもすぐそばで幾兆億もの命が、そんな己を生かしてくれている。
これは簡単な話で、私たちの一人ひとりの身体は約60億ともいわれる多数の細胞で構成されている。
そしてその細胞群の表面には「兆」にも上る数の細菌たちが互いに命を織り成しあっている。
細菌たちはそれぞれ常に様々な物質を代謝し続けており、私たちの細胞つまり身体も(当然それには脳も含む)その影響を受けながら互いに生命活動を維持している。
細菌たちの存在がなければ私たちは今の人の肉体を維持できるはずもなく、その存在を否定し排除を求めるばかりでいると、それに伴い人の心も廃れていく。
いつだって身近に居てくれている無数の生命に感謝を伝えることを忘れなければ、独りぼっちに陥ることなどあるはずもない。
次元の狭間では数多の先祖の意識が己を見守ってくれている。
1次元は「線」の概念、2次元は「面」の概念としよう。
1次元の「線」は1次元であるがゆえに「面」に触れることはできない。
しかし2次元の「面」は1次元の「線」と触れ合うことができる。
同じ様に3次元を「立体」とすると、2次元の「面」が立体に触れることはできないが「立体」は面に触れることもできる。
ただし「立体」が触れていることを「面」は知る由もない。
物質はすべからく立体で構成されているため、私たちの世界はつまり3次元に在る。
立体に時間軸を加えた世界を4次元とすると、3次元に存在している私たちは4次元の存在に触れることはできないことになるが、、、
実際に私たちは過去や未来の物質(存在)に触れることはできない。
しかし私たちは3次元の存在であるにも関わらず、4次元の存在を認識することはできる。
それはなぜか?
その答えは私たち人の「意識」というものが、物質(3次元)ではなく4次元以上の存在だからである。
人の意識は過去や未来の時間軸を想像することで4次元の世界を認識できている。
そしてさらに多種多様な空間を想像することで、より高次元の世界をも認識できるのが「人の意識」だ。
人の意識は3次元よりも高次に在るため、人の肉体で触れることはできないが、しかし意識は意識に触れることもできる。
低次元の意識のままでは高次の意識が触れていることに気づくことはできない。
しかし想像力をもって己の意識を高めれば、いつか高次の意識に触れることもできるだろう。
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